大阪地方裁判所 平成10年(ワ)259号 判決 1999年2月25日
甲事件原告
甲野太郎
乙事件原告
乙野次郎
同
乙野三郎
原告ら訴訟代理人弁護士
佐々木寛
甲乙事件被告
医療法人春秋会
右代表者理事長
池浦達雄
甲事件被告
和田信弘
被告ら訴訟代理人弁護士
提中良則
同
金田朗
主文
一 被告医療法人春秋会は、原告甲野太郎に対し、金三八七五万円及びこれに対する平成八年六月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告医療法人春秋会は、原告乙野次郎に対し、金二〇〇万円及びこれに対する平成八年六月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告医療法人春秋会は、原告乙野三郎に対し、金二〇〇万円及びこれに対する平成八年六月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
四 原告甲野太郎の被告和田信弘に対する請求及び原告らの被告医療法人春秋会に対するその余の請求をいずれも棄却する。
五 訴訟費用は、原告甲野太郎に生じた費用の一〇分の一と被告医療法人春秋会に生じた費用の一〇分の一を被告医療法人春秋会の負担とし、原告甲野太郎に生じたその余の費用、被告医療法人春秋会に生じた一〇分の四及び被告和田信弘に生じた費用を原告甲野太郎の負担とし、原告乙野次郎及び原告乙野三郎に生じた費用の七分の一と被告医療法人春秋会に生じた費用の一〇分の一を被告医療法人春秋会の負担とし、原告乙野次郎及び原告乙野三郎に生じたその余の費用及び被告医療法人春秋会に生じた費用の一〇分の四を原告乙野次郎及び原告乙野三郎らの連帯負担とする。
六 この判決の一ないし三項は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求の趣旨
一 甲事件
甲事件被告らは、甲事件原告(以下「原告甲野」という)に対し、各自、金二億円及びこれに対する平成八年六月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 乙事件
1 乙事件被告は、乙事件原告乙野次郎に対し、金一五〇〇万円及びこれに対する平成八年六月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 乙事件被告は、乙事件原告乙野三郎に対し、金一五〇〇万円及びこれに対する平成八年六月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。(以下、「甲事件原告」を「原告甲野」、「乙事件原告乙野次郎」を「原告次郎」、「乙事件原告乙野三郎」を「原告三郎」、「甲乙事件被告医療法人春秋会」を「被告法人」、「甲事件被告和田信弘」を「被告和田」という)
第二 事案の概要
甲事件請求は、丙野春子(以下「春子」という)の実子である原告甲野が、被告法人及びその院長である被告和田に対し、春子が被告法人で入院治療を受けていたところ、その医療ミスにより死亡したとして、甲事件請求の趣旨記載の損害賠償を求めるものであり、乙事件請求は、春子の事実上の夫であったとして原告次郎が、事実上の子であったとして原告三郎が、被告法人に対し、甲事件請求と同様の理由により、乙事件請求の趣旨記載の損害賠償を求めるものである。
一 争いのない事実等
1 被告法人は、春子との間において、診療契約を締結し(以下「本件診療契約」という)、平成八年五月一九日から同年六月七日までの間、医療行為をした。
2 春子は、同年六月八日、関西医大に転院したが、同月一三日、術後縫合不全による多臓器不全により、六二歳で死亡した。
3 春子は、昭和二九年六月二五日、丁野四郎と婚姻届をし、昭和三二年一〇月一二日、原告甲野をもうけたが、昭和四〇年二月一五日、離婚届をした(乙事件の甲六、七)。
4 原告次郎は、昭和三三年四月二一日、丁山夏子と婚姻届をし、昭和三四年七月一二日、原告三郎をもうけたが、昭和四二年一〇月一八日、離婚届をした(乙事件の甲一〇)。
5 原告次郎と春子は、昭和四三年一月一一日、婚姻届をし、昭和五六年五月一三日、離婚届をした(乙事件の甲一〇、一一)。
二 争点
1 被告法人及び被告和田に損害賠償義務があるか。
(原告らの主張)
(一) 被告和田は、被告法人の院長として、春子の診察・治療に当たり、腸閉塞の手術をした(以下「本件手術」という)。
(二) 被告和田は、本件手術に際し、春子が縫合不全、感染症又は敗血症性ショックを起こさぬよう、当初に人工肛門を設置して腸を切除し、腸内を減圧した後、再び腸を繋ぎ縫合する方法を採るべきところ、右のような手術方法を採らなかった。
(三) 被告和田は、本件手術後、春子が敗血症性ショックを起こしている可能性が予見できたにもかかわらず、これを放置した。
(四) 春子の担当看護婦は、担当医師に対し、その容態に急変があれば、これを報告すべきところ、これを怠ったばかりか、感染症を引き起こす危険性のある氷やアイスクリームの経口摂取を許した。
(五) 春子は、被告和田ないし担当看護婦が、(二)ないし(四)のとおり、手術方法の選択を誤ったうえ、術後の観察を怠り、しかも、経口摂取を許す等したため死亡したものである。
(六) したがって、被告法人には、本件診療契約について債務不履行責任があり、被告和田には、不法行為責任がある。
(被告らの主張)
(一) 原告主張の手術方法は、患部より口側で大腸を一旦切断して人工肛門を造設し、便を排泄させたうえ、改めて患部を切除するというように二段階に分けて行うもので、二期的手術といわれるものであるが、患者が腸閉塞ないしそれに近い状態にあり、術前の措置が十分にできない場合に採られるべき手術方法である。
(二) 本件手術の当日まで、春子の場合、時々排ガス、排便が認められ、完全な腸閉塞とはいえず、著明な腹部膨満はなく、腹部レントゲン撮影においても、著明な腸管内ガス像は認められなかったから、被告和田が採った手術方法に問題はなかった。
(三) 本件手術後、春子の場合、敗血症性ショックを起こしている可能性が予見できるような症状は呈しておらず、容態の急変は、予見・予測不可能なことであった。
(四) なお、春子は、絶食、絶飲を指示されており、看護婦において、氷やアイスクリームの経口摂取を許すことはあり得ない。
2 原告らは、いかなる損害を受けたか。
(原告甲野の主張)
(一) 春子は、株式会社「きもの采絃」の従業員として、着物を販売し、月額二〇万円の給与の支払を受けていた。そして、毎年五パーセントの昇給が見込まれた。
(二) 春子は、自宅で着物教室を開いており、死亡当時、一三人の生徒から、月額一万円の受講料を得ていた。そして、毎年一人程度の受講生の増加が見込まれた。
(三)(1) 春子は、大富商事の屋号で金融業を営み、貸出元本は二億円であり、貸出金利は年三八パーセントであって、貸倒率は二〇パーセントである。
(2) 春子は、昭和九年三月三日生まれで、右仕事の性質上、七〇歳まで稼働できたから、年二パーセントの中間利息を控除すると、二億五三六七万五五〇五円の得べかりし利益を受けた。
(四) 原告甲野が、春子の死によって受けた精神的苦痛は、四〇〇〇万円を下らない。
(五) したがって、原告甲野には、被告らに対し、二億九五三六七万五五〇五円の損害賠償請求権がある。
(原告次郎・原告三郎の主張)
(一) 原告次郎と春子は、前記一5のとおり、離婚届はしているが、同居を続け、事実上の夫婦であった。
(二) 原告次郎が、春子の死によって受けた精神的苦痛は、一五〇〇万円を下らない。
(三) 原告三郎は、原告次郎とともに、七歳の時から、春子と同居し、事実上の親子であった。
(四) 原告三郎が、春子の死によって受けた精神的苦痛は、一五〇〇万円を下らない。
(五) したがって、原告次郎と原告三郎には、被告法人に対し、各一五〇〇万円の損害賠償請求権がある。
(被告らの主張)
(一) 原告甲野の主張に対し
原告甲野が主張する損害は、具体的根拠に欠けている。少なくとも、税務申告書の控え程度は提出されるべきである。
(二) 原告次郎及び原告三郎は、春子の相続人ではなく、春子の死に対し、慰藉料を請求し得るような近親者ではない。
第三 判断
一 争点1について
1(一) 原告らは、被告和田の手術方法の選択に過失があった旨主張する。
(二) 証拠(甲事件の乙一、四、被告和田)によると、以下の事実が認められ、これを左右するに足る証拠はない。
(1) 春子は、平成八年五月一〇日ころから、排便がなく、近院で診察を受け、浣腸をしてもらったり援下剤の投与を受けていたが、一六日ころから、腹痛と腹部膨満感が強くなり、嘔吐がみられるようになったため、一九日、被告法人に入院した。
(2) 患者が六〇歳を超えている場合の腸閉塞は、大腸癌に起因することが多いが、春子の場合、確定診断はできなかった。
(3) しかし、被告和田は、腸間膜血栓症や腸捻転による腸管壊死等の場合、手術を行わないと、致命的になることもあるため、二五日(土曜日)に回診し、急激な激痛があれば直ちに、なければ二七日(月曜日)に手術することにした。
(4) 被告和田は、腫瘍による完全大腸閉塞で、口側に糞塊が多量に認められる場合には、縫合不全が必発と考えられるため、二期的手術が必要であるが、春子の場合、本件手術前に約一〇日間の絶食期間があり、時々排ガスと排便があって、腹部レントゲン撮影においても、腸管内ガス像の減少がみられたうえ、手術中に糞塊らしきものが触知されなかったところから、一期的手術を行った(二期的手術は、患者の負担が大きく、文献上、予後の点からも、成績はよくないとされていた)。
(二) 右認定事実によると、被告和田において、二期的手術を選択し、一回目の手術で下行結腸に人工肛門のみを造設し、二回目の手術で腫瘍を含めた大腸切除を行い、人工肛門閉鎖のうえ、大腸端々吻合手術を行っておれば、縫合不全の発生率を低くすることができたが、その発生率をゼロにすることはできず、二期的手術を行うことは、手術そのものの危険性を倍加させるうえ、腸管癒着障害等の発生頻度を高めることになるから、これらの点を考え併せると、被告和田が、二期的手術を選択しなかったことに過失があったとはいい難い。
2(一) 原告らは、被告和田の術後の措置に過失があった旨主張する。
(二) 証拠(甲事件の乙一、四、被告和田)によると、以下の事実が認められ、これを左右するに足る証拠はない。
(1) 本件手術後から五月三一日の夕刻まで、春子の容態は、良好であった。
(2) 同日午後七時になって、春子は、悪寒と吃逆を訴え、体温も37.6度に上昇したが、グル音が聴取でき、排ガスもあったところから、縫合不全を疑うことはできなかった。
(3) 六月一日午前一〇時、春子は、被告和田の回診に際し、嘔気を訴えたが、「ガスが出た」との報告もあり、比較的顔色もよく、腹部所見、ドレーンからの排液にも問題はなかったが、「腰のあたりが痙攣する感じがある」と訴えるので、経口水分の摂取を禁じた。
(4) 同日午後五時三〇分、春子から、自制不能の腹痛を訴える旨のナースコールがあったため、当直の看護婦は、ボルタレン座薬二五ミリグラムを投与した。
(5) 同日午後八時三〇分、当直の看護婦は、同様の訴えにより、同様の座薬を投与した。
(6) しかし、これらの事実は、看護婦から当直医に報告されなかった。
(7) 同日午後九時、春子から、胸部の不快感、呼吸苦の訴えがあったため、当直の看護婦は、独自の判断により、酸素を毎分二リットルを流した。
(8) 六月二日午前〇時、当直の看護婦は、自制不能の腹痛の訴えがあったため、独自の判断により、ボルタレン座薬を投与した。
(9) 同日午前三時三〇分、当直の看護婦は、春子に多量の便汁様嘔吐があったため、独自の判断により、六フレンチの胃管を挿入した。
(10) 同日午前四時、当直の看護婦は、春子の脈拍数が頻脈を呈し、血圧も上昇してきたため、独自の判断により、電図モニターを装着した。
(11) 前記(4)ないし(10)の春子の症状は、縫合不全によるいわゆるSIRSであって、当直の看護婦が、担当医と連絡し、二四時間以内(六月二日夕刻まで)に適切な再手術が行われておれば、救命できた。
(12) 六月二日午前九時三〇分、勤務交代した看護婦の経過報告を受けた執刀医の酒井医師から、「心電図をとって内科の当直医に診てもらうように」との指示があり、内科の当直医において、診察したが、「心電図に特別の所見はない」ということで、「外科の当直に診てもらうように」との指示がされた。
(13) 同日午前一一時四〇分、勤務交代した外科の当直医が診察し、腹部のレントゲンを診察したが、なんの指示も出されなかった。
(14) 同日午後七時、当直の看護婦は、春子から、激しい口渇を訴えられたが、独自の判断により、胃管をクランプした。
(15) 同日午後八時、当直の看護婦は、春子から、呼吸速迫、頻脈、痛み、しんどさ等を、訴えられ、当直医に連絡したが、主治医には連絡しなかった。
(16) 同日午後九時から一一時までの間、当直の看護婦は、春子から、不眠、不穏を訴えられ、当直医の指示により、鎮静剤を筋注し、睡眠剤を投与した。
(17) 六月三日午前七時、春子の容態が急変したため、気管内挿管をしたが、この時点においては、縫合不全による腹膜炎を併発し、最早正常な状態に戻れない不可逆性変化を来していた。
(18) なお、春子の大腸には、分化型腺癌があり、文献によると、五年生存率は五割弱であった。
(三) 右認定事実によると、本件手術後、当直の看護婦において、適切な対応をしておれば、春子の救命は可能であったというべきところ、当直の看護婦から当直医に対し、容態の急変が報告されなかったため手遅れとなり、救命できなかったというべきであるから、被告和田の術後の措置に過失があったとはいい難い。
なお、被告和田において、当直の看護婦に対し、春子の容態に変化があれば、直ちに当直医に報告するよう指示していないが、看護婦としては当然採るべき措置であって、右の点についても被告和田に過失があるとはいえない。
2 そうすると、春子の死について、被告和田に損害賠償責任があるとはいえないが、その余の点について判断するまでもなく、被告法人に損害賠償責任があることは明らかである。
二 争点2について
1 原告甲野関係について
(一) 原告甲野は、春子は、①会社に勤め、月額二〇万円の給与の支払を受けていた、②自宅で着物教室を開き、月額一三万円の収入があった、③金融業を営み、多額の収入を得ていた旨主張し、右主張にそう証拠(甲事件の甲一〜三、五〜一一各1・2、一二、原告次郎、原告三郎)もなくはない。
(二) しかしながら、右各証拠は、客観性に欠けるもので、説得力に乏しい憾みがある。本件審理の過程において、原告らに右立証を準備させるべく、十分な時間が費やされたが、容易に提出できると思われる証拠の提出もなく、立証は甚だ不備である。せめて、税務申告書の控え(原告次郎は、春子において、確定申告をしていたと述べている)、会社の給与の帳簿の写し、貸付帳簿ないし顧客の借用書等(春子が金融業を実際にやっていたのであれば、相当数の借用書が残されているはずである)は提出されてしかるべきである。
(三) そうすると、原告ら主張の収入が春子にあったとはいい切れないから、春子の逸失利益は、平成八年度の賃金センサスに従ってこれを算出することとし、生活費控除三〇パーセント、稼働可能年数一〇年として、中間利息(ホフマン式)を控除すると、一六七五万円となる。
(四) また、春子の死亡慰藉料は、本件記録から窺える一切の事情を考慮すると(原告次郎及び原告三郎から慰藉料請求がなされていることも、考慮した)、二二〇〇万円と認めるのが相当である。
2 原告次郎について
(一) 前記争いのない事実(第二の一2〜5)及び証拠(甲事件の甲四、一四、原告次郎、原告三郎)によると、原告次郎と春子は、昭和四三年一月一一日、婚姻届をし、昭和五六年五月一三日、離婚届をしたが、その後も、同居し、事実上夫婦関係を継続してきたものであるから(手術承諾書にも配偶者として署名している)、原告次郎は、民法七一一条の類推により、春子の死に対し、慰藉料を請求し得る近親者と認められる。
なお、原告次郎は、平成元年七月一一日、乙川秋子と婚姻届をしているが(乙事件の甲一〇)、前記各証拠及び弁論の全趣旨によると、乙川秋子との間に子供ができたため、やむなくそうしたもので、春子との間の生活に変化はなかったものと認められるから、右請求を否定する根拠とはなし難い(ただし、慰藉料額の算定については考慮されるべきである)。
(二) そうすると、原告次郎は、本件各証拠から窺える原告甲野に対する請求が認容されていること等一切の事情を考慮すると、被告法人に対し、二〇〇万円の慰藉料請求権を有するというべきである。
3 原告三郎について
(一) 前記争いのない事実(第二の一2〜5)及び証拠(甲事件の甲四、一四原告次郎、原告三郎)によると、原告三郎は、原告次郎と春子が結婚したため、七歳の時から、春子と同居し、本件手術に際しても、妻と共に、その看病にあたり、最後を看取ったもので、事実上の親子であるから(手術承諾書にも長男として署名している)、民法七一一条の類推により、春子の死に対し、慰藉料を請求し得る近親者と認められる。
(二) そうすると、原告三郎は、本件各証拠から窺える原告甲野に対する請求が認容されていること等一切の事情を考慮すると、被告法人に対し、二〇〇万円の慰藉料請求権を有するというべきである。
三 結語
以上の次第であるから、原告甲野に対する請求は、前記二1の限度で、原告次郎に対する請求は、前記二2の限度で、原告三郎に対する請求は、前記二3の限度で理由があるからこれを認容することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官佐藤嘉彦)